長い人生の中で、裁判所に行く経験をする人はあまり多くないかもしれません。とはいえ、訴訟の国のアメリカ。日本人に比べるともう少し生活の身近にあるというのも事実です。
ポートランドの中心部に掛かり、町のシンボルにもなっているウィラメット川。その川沿いに、新しい裁判所が2020年10月に完工されました。
ダウンタウン地区を中心に管轄する、モルトノーマ郡(地域)。その全域をカバーする、オレゴン一大きい耐震建築がされた裁判所です。
2021年8月。ブラウン州知事は、その新裁判所に新たに女性2名を裁判官として任命しました。「白人の多いオレゴンの中で、この郡(地域)は、多種多様な事件を扱う割合がずば抜けて多い。また複雑化された問題が倍増。多様化する人口に対応している適任者が、選ばれたのは喜ばしい限りです。」
そして、その一人がシャンポーン・シンラパサイさん。移民出身かつアジア人女性として、唯一の裁判官として務めます。自分の弁護士事務所での15年の経験、暖かさ、公平かつ効率的に案件を処理できることで有名な方です。多くの市民にとっては、裁判官というより信頼できる『近所のおばちゃん』的な太陽のような存在でもあります。
大きな笑顔と心を持つ彼女。裁判という『場』を通して、地域をどのように活性化していきたいのか。
このコロナ禍で苦しんでいるのは、日本もポートランドも同じこと。弱者が、より辛い思いをしがちなご時世。今の社会、そして『あなたの心をほんの少し開放してあげる』ヒントが読み解けるかもしれません。
|背筋をのばし、感性を研ぎ澄まして
ラオスから難民として、アメリカにやって来たシャンポーンさんと家族親族。当然のことのように、非常に貧しい住宅地区からの生活が始まりました。
それでも、アメリカで生きている。まるで夢のようだった。そう、当時を思い出して語り出します。
「ラオスから逃げ出した後、身を寄せたタイの難民キャンプではマラリアにかかったり。ひもじさと辛い思い出ばかりでした。いつ死ぬかもしれないという、恐怖の日々。ですから、アメリカで生活を始められた時には、貧困層が多い住宅地区であれ、なにより雨風をしのぐ場があり、口に入れるものがある。それだけでも、安心な場所と感じたのです。」
しかし、そこからは茨の道。親族誰一人、英語が話せません。当然、アメリカの公的ルール、仕組み、手続き、法など分かる訳がありません。不安と共に、家族を代表する形で必死に英語を学び勉強に励む。すると、徐々に見える光景が変わってくる経験をしていきます。
自分が得意とする分野を努力していけば、自分の歩んで行きたい道を自分で選びとれる。そう考えるようになりました。
一族の中で初めて大学に進学をして、寝ずの努力で法学博士号を取得。そこから移民専門の弁護士となり、窃盗、売春、(家庭内)暴力事件など、貧しい移民特有の問題の手助けをしていきます。
15年前には、自分の弁護士事務所を設立。その間、FBI連邦捜査局アカデミー委員、反人身売買タスクフォース、移民難民コミュニティー諮問委員などを務め上げながら、地域の無料移民医療センターボランティアを設立運営していきます。
このような多くの長年の働きが、今回の裁判官任命に結びつきました。「動機ですか? ただただ、生涯をかけて地域社会に貢献をしたかった。自分のやりたいことに、正直に進んできただけなんです。」
裁判所に行く羽目になるような人生を歩みたい。そんなことを思って、人生を歩んで来た人は一人もいないはず。でもそのような羽目になってしまった人に、裁判所で経験して欲しいこと。それは、公的な人間に自分自身を見てもらい、公平に話を聞いてもらうことです。そして裁判のプロセスが、法律の下で公正であったと感じてもらいたい。そう言います。
「理想論に聞こえますか? でも、心を尽くしながら現代に合った理想を語らなければ、地域という場は変わっていかないでしょう。」
そう微笑む彼女が、日々心に刻んでいるキング牧師の言葉があります。
貧しい移民の子として学校に行く辛さ。長い間、英語の読み書きができない理由からの成績不振。頑張っても頑張っても、先の見通せない生活と経済環境。
文化的背景から、両親は口々に「お金持ちと早く結婚をして親戚一同の面倒をみて。楽をさせて。それが唯一の救われる道だから。」と言われ続ける日々。低所得者の生活の辛さを知っているからこそ、それに答えたい。そう思った時期もありました。
でもシャンポーンさんは、自力で開拓して前進して行かなければ扉は開かない。そのことをアメリカの教育から徐々に学んでいきました。
平行して、自分と同じ立場の移民やマイノリティーの『失敗を助ける』という経験を積んで行きます。
「いい意味でも悪い意味でも、あなた自身は『社会や世間、親や友人が望むよう』に行動したり発言しがちです。
そこから、自分の心にひずみが出来る。または、知識の欠陥からトラップに陥る。この世の中には、自分では想像をしていなかった道に進んで行ってしまうことがあまりにも多い。
ですから私は、裁くのではなく『その人の、本来のベストな状態』を探しあてるために、目を開き、耳を傾け、手助けをすること。そして彼らに希望を与える言葉をかけるのです。これが、私の務めなのです。
日々、おごる気持ちを持たないように。自分の命をこの世に与えてくれたご先祖様にお祈りをしてから、黒いローブに袖を通すようにしているんですよ。 」そう言って、てへっと笑うキュートな姿に温かさがこぼれます。
|弱者の声を拾い上げる、だけで終わりにしない。必要なのは、その先の実践
「裁判官は、一度任命されればそれで安泰というものでは無いのよ~。」シャンポーンさんは、そう笑って話します。特に、今必要とされるのが、多様性・公平性・包摂性についての見識、経験、改革です。
「実は今、他の裁判官と共に多様・公平性特別委員会に参加しているんです。 ここを足掛かりに『司法制度を改善する方法について考え、実現をしたい』という目的が明確にあります。制度が機能しているかを調べて、改善すべき点があれば変えていく。時代や文化が変われば、制度も変わるべきだからです。これは、一般企業や行政でも同じことです。」
今さらに、異なる生活・文化経験や視野を持つ多様な弁護士や裁判官の存在が、多くの地域には重要であると言います。
脆弱なコミュニティー、貧困層、D V、抜け出せない環境、偏見。複雑な生い立ちを持つ犯罪者や予備軍。そして被害者は、法制度や公的人間を信頼することが難しいのが現実だからです。
「裁判所は、正しい情報を提供する。同時に、人の権利、保護。そして、そのための手段を理解してもらう出発点です。麻薬、殺人、売春、詐欺、金銭トラブル、離婚(又は結婚)、どれひとつ同じ内容はありません。生身の人間の様々な人生があります。
裁判所には、多くの社会的弱者、マイノリティー、言語や知識においてマイナスポイントを持つ人。幾重ものハンディを抱えた人が多く来ます。
ポートランドの公的『場』として裁判所に来る人の多くは、人間として最低限の自分の権利を守るための指導と助けを必要としているんです。 」
日本でもアメリカでも、一般に社会的弱者は、自ら声をあげることに躊躇しがちです。公的機関は、弱者の声を拾い上げることは当然のこと。日米問わず、多くの人はそう言います。でも実際の所、彼らの声を拾い上げデータ化して、仕事を終わりにさせてはいませんか。その細い声を基に、調査をして計画を立てて地域という場に反映させる。時間と労力は掛かりますが、必要な務めだと感じます。
|いかに生きていくのか、問いかけてみよう...
熱く大きく語る、牡丹の花のようなシャンポーンさん。実は、2017年に外務省から選ばれて、訪日をしています。その際、筆者が州政府と協働で行った「ウーマン・リーダーシップ」カンファレンスに、ブラウン州知事と一緒に登壇をしてもらいました。
その際、多くの日本人女性や行政の人々と交流して驚いたことがあったと言います。
「先進国というイメージを持っていた日本。でも、政府内、一般企業での高い地位に女性が少ないということに驚きました。そして 文化的背景や組織、環境という絡まった理由から、多くの重荷を背負っている女性が多いこと。 先進国に住みながら、自由があるようで無い。そう感じたのです。」
非正規雇用者数と完全失業者が、年々増え続ける今の日本社会。特に、女性の自殺率が増え続けているという悲しい現実もあります。
言うのは簡単だけれども。そう前置きを言いつつ、シャンポーンさんはこう続けます。
「男女問わず、今の自分のポジションから脱する方法の一つ。それは、新しい情報や学びを取り入れること。そして、自分の付加価値を上げていくのです。地域行政が支援ツールを提供しているのであれば、是非使うべきです。あなたには、公的(学習)支援を受ける権利があるのですから!恥ずかしい事など何もありません。勇気をもって、問い合わせることから始めてみてはどうでしょうか。」
貧しい人、収入が低い人、そして女性にとって、教育は必ずしも自由に与えられてきたわけではありません。 歴史上、教育や学習能力は、金持ちの特権と見なされてきました。そして、今さらに 裕福な家の人ばかりが、安心して高等教育を受けられるような社会になっています。
昭和の時代に流された多くの『無知の涙』。著者 永山則夫の生きた当時の貧困、読み書きができないレベルの初頭教育の欠如とは違います。
とはいえ、別の意味での社会的弱者が多く生まれている今。その国・地域の教育と学習の低下は、成長と繁栄を緩やかに、でも確実に逆行させる大きな要因となる。このことは、すでに知られているところですよね。
| 2022年、アジア人として解放すべき縛りと心
「2022年、私たちは『バーチャルで会う』のが普通になっている社会に生きています。ある意味、実際の体温の温かさから遠のいた生活を強いられています。
でも同時に、いままで生身の家族や社会に『ないがしろにされてきた人』が生きやすい時代かもしれないですよね。」こう、面内方向に話を変化させたシャンポーンさん。
「アジア人として、家族は時に厳しく、時には家族から矛盾したメッセージを受け取ることがあります。
家族の夕食の席で、太り過ぎだと言われたかと思うと、もっと食べろと言われたり。勉強が出来る子や出来の良い兄弟姉妹と比べられたり。親、親戚兄弟姉妹は、言いたいこと(決して他人には言わないようなこと)を平気で言います。無意識に裁いてきたりします。
でも、今日、あなたの心に刻んでほしいことがあるのです。それは、彼らはあなたの人生を生きているわけではない、ということ。
コロナと孤立の時代、今の自分にとっての幸せって何?と、もう一度立ち止まって考えてみて欲しいのです。あなたにとって、あなたの心にとって安全な『場所』は、どんなところですか?ということを。」
きっぱりと、かっこいいシャンポーンさん。人を公平に見るとは、場を作るとは、こういうことなのか。そう深く感じながら大きなエアー・ハグを贈りました。
ともすれば、人の見かけ、社会的地位、どんな仕事かで判断をしたり。安易に人を裁いてしまいがちです。社会的弱者に対してだけではなく、今の『あなたにとっても』寒い季節なはずです。
あなたは十分でない、自分では何もできない。そう言われた人たちへ。 あなたは今のままでも十分に素敵で、ささやかな優しさを持っていて、自分なりに頑張って歩んできた人なのです。ですから、毎日、自分自身の心にそう言い聞かせてあげてほしいのです。
自分自身、そして周り(と社会)を裁くだけではなく、一つずつ『自分という名の』小さなレンガを自分の心に積み上げていく。心の置き所でもあり、守りとなる『要塞(ようさい)』を今日から築き始めてみるのはどうでしょうか。
肩こり腰痛をお持ちの方は、ご一報ください。私がよろこんで、レンガ積みのお手伝いをしますので。
次回のテーマは、コロナ禍で影響を受けている『教育』。ポートランドの初等教育と学童NPOの取り組みを紹介します。教育格差、貧困と教育、学級閉鎖からパートに行けないシングルマザー。日本と共通問題点とヒントを探ります。
3月11日掲載です!
記:各回にご登場いただいた方や記載団体に関するお問い合わせは、直接山本迄ご連絡頂ければ幸いです。本記事掲載にあたってのゲストとの合意上、直接のご連絡はお控えください。
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