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[独占インタビュー] ポートランドから世界のACEホテルへ。有名ディレクターの『新しい人生の乗り換え口』

ACE Hotel Lobby
ポートランドのランドマークとなったACEホテルのロビー。サードウエーブコーヒーを片手に、HOTELという文字サイン前は、定番の撮影スポット。今では普通となったホテル所有のレンタル自転車も、ポートランドACEのオリジナル。自転車の町を象徴する不可欠のモノ。(2019年撮影)  ©2021PDX COORDINATOR, LLC

『いつも新しい自分でありたい』...そういう生き方がしたいです、か?


いくらフレンドリーなポートランドの人とはいえ、有名なクリエイティブディレクターだったら、きっとお高く留まっているはず


10数年前の私は、無意識の偏見バイアスにすっぽりはまっていたことにさえ、気が付いていませんでした。


『ポートランドといえばACE』。町のランドマークになった世界的な有名ホテルです。クリエイティブディレクターのライアンさんと、やっとの思いで入ったアポの朝。


ACEホテル創業者の一人であるアレックス氏が、1999年に実験的にシアトルにホテルをオープンさせた。ポートランドが2店舗目で...。難度高めの雑誌撮影の交渉とあってか、呼吸が浅くなっているわたし。


古い倉庫のような鉄ドアを押し開けてオフィスに入っていくと、待っていてくれたライアン。えっ?と思うくらい朴訥とした雰囲気です。シャイな性格らしく、ほぼ目を合わせてくれません。私の目線のほんの少し下にある短い髭。ちょっとよれたTシャツ。その横には白褐色の大型犬がお行儀よく座っています。


「どうぞ」と静かにすすめてくれた椅子は、あめ色のきしむ木製。そっと腰を下ろした途端に、不思議と朝の緊張が解けていきました。


「水でもどう?」と、グラスに入った常温の水をそっと手渡してくれます。


「実は、ポートランドのACEホテルを出す時にはお金が無くてね。」と、面映ゆい表情を見せるライアン。そしてそこからなぜか、共通の音楽やデザインの話で持ちきりになり。挙句の果てには、『枠にとらわれずに、新しいことを吸収し続けていきたい。新しい自分でありたい。』なんていう概念の話にまで飛び火をしていきました。


そんなLike-minded People*との出会い。相手のこころを尊重する繋がりにフォーカスしながら、誠意をもってじっくりと有機的に信頼関係を発展させていきました。


(それでもまさか、その数年後に京都ACEを協働プランニングすることになるなんて。だからやっぱり、人生は不思議。そして面白い。)

Buildings in the Pearl District
古い倉庫の外観はそのまま。内装をリノベした、カフェやポートランドブランドの店舗が連なっている。昔の貨物車両の線路は、車道へと変化。倉庫位置が一段高くなっているデザインは、貨車から荷を出し入れしやすいという理由から。新開発によるエコ高層ビル群とのコントラストが、今のパール地区の特徴となっている。 Photo | i-Stock

|開発のあるべき姿...って難しい。でもついに!新しい行政局による改革が

その「ACE ホテル」のすぐ近くには、再開発で有名になったシックな『パール地区』があります。


ダウンタウンへは、徒歩で10分程度。元々は貨物車両の倉庫基地だった場所です。鉄道運輸事業の衰退から、80年代初頭迄は、足を踏み入れちゃいけない怖い倉庫地区でした。


そして80年代中盤。地元の開発業者が再整備を始めたことで、変化が加速していきます。ロフト式アパート、抑え目な家賃とその立地から、アーティストらが州内外から移り住むようになっていきました。

因みに、『ポートランドの中心市街地』の1ブロック(1街区)。これは、アメリカの平均的な設定距離の半分(約61m)に作られていて、想像以上に歩きやすい町になっています。これを生かして、衣食住が徒歩20分圏内で完結できる『コンパクトシティー〛という町作りへと繋がっていくのです。

1988年には、ナイキ*の広告を初期から担当している有名代理店が、この地区に転入。そこから拍車がかかり、新たなエココンセプトの高層ビル、ギャラリー、レストラン、商業施設が次々と作られていきます。そしてそれに伴うように、多種多様なクリエイティブ層が流れ入るように住み始めるのです。

〚*ナイキの本社(HQ)は、ポートランドから車で約20分。近郊のビーバートン市にあります。〛

その目指す姿は、低所得者と高所得者との共生、文化的な刺激共有、住人による地域協会、住人の為のコミュニティー。その成功した再開発地区から知恵を得ようと、人口減少問題、地方再生で悩んでいる日本の視察団が多数訪れました。そしてそれは、2017年頃まで続きます。


でもそこからです。予想もしなかった事が次々に...


乱開発と家賃の高騰による、低所得者層の大量流出。西海岸大都市からの富裕層移住者の急増。商業化した地域と住人層の変化によって、運営変更を余儀なくされた住人協会。投資目的のゴースト住人も少なくありません。

同時期、市の開発を牽引してきた開発局そのものが、閉局するという異例が発生します。旧開発プログラム内容とその体質に決別をするために、『プロスパー・ポートランド』という新しい行政局が2017年に設立されます。その新トップ*の初仕事。それは、開発局の提案プログラム内容と開発によって莫大なるダメージを与えた、市と住民に対してへの謝罪でした。

「今までの開発プログラムを過去のものとし、全面的に撤回して改める。新しい行政局として、別物のプログラムを作り出す。一部の人間の利益ではなく、多様な人々のための町づくりに取り組む。」明白な内容を聞いた多くの市民は、その真っすぐな強い眼差しから、その決意が信頼に値すると感じたのです。

(目の前にいた彼女の姿に、私は見とれていました。それほど素晴らしかったのです。)


もちろん現在でも、市の新しい案件として『町作り』『スマートシティ』等の持続可能プロジェクトは進行中です。市運輸局スマートシティ部をはじめとする多局部署が、各プロジェクト内容に応じて分担され執り行われています。



過去、町として不動産バブルという経験が無かったポートランド。開発デベロパーの商業感覚とコンセプトが全面的に押し出されていたのは、仕方がないことかもしれません。


それでは、つい目と鼻の先にあるACEホテルはどうだったのでしょうか。彼ら目線のコンセプトとは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

特別に、『今の自分』と『今のポートランドの生活』を初めて語ってくれたライアン。


|そんなACEのロビーは、かれらのリビングルームになった

A record player is provided in the hotel room
フロントデスクには、無数のレコードセレクションが保存されている。好みのレコードを借りて、部屋のプレイヤーに針を落とす。すると、よそよそしいはずのホテルの一室がとっておきの隠れ部屋になる。 ©2021PDX COORDINATOR, LLC

この記事のために、『今の自分』と『今のポートランドの生活』をじっくりと語ってくれました。


「ACEシアトル店オープン後の2000年に、ACEホテル創設者のアレックスと出会ったんだ。音楽、海外の文化、コミュニティーと広い範囲で何でも教えてくれた。特に日本は、共通のキーワードでね。とにかく、『すてきな大人』だった。


アレックスと一緒に働きたいという熱い思いから、ついにACEホテルに就職。お金はないけど、毎日が平和に刺激的だったと言います。


互いの会話を研磨していくうちに、新しいホテルのコンセプトを『地域の文化と音楽』を元にして作っていく方向に決めました。そこを発展させて、その町のニーズと文化によって各ホテルのデザインに変化を持たせる。くわえて、その町の特色と土地を象徴するモノで満たすことで特化する、というユニークな考えにたどり着くのです。


でもそれは、一般の経営からみても冒険を要する発想でした。実際、既存のホテルからは、すぐにつぶれるかオープン前に諦めるかだと馬鹿にもされました。


コンセプトは良くても、その元手が無いのが起業初期ビジネスの辛いところ。


それもそのはず。シアトル店の開業後に、それほど時期を開けないでポートランドで建物を購入。それも、築90年のボロホテルをです。資金が乏しすぎて、家具やロビーの備品の購入ができません。仕方がないので、知恵を絞ってクリエイティブに考えていこうと発想をシフトさせました。


「毎日、町の『リユース(リサイクル中古)屋』へと歩き廻っていた。古いからもういらない、と人に廃棄されたものしか選択肢が無かったんだ。それをどう仕上げて使うのか、そんな表面的なことばかり毎日考えていた。」唯一、その行動の中で『ものを見る目』は深く養われていきました。


ちょうど2000年に突入した頃、アメリカでは『持続可能(サステナブル)』という表現が、エコを意識している人々から聞かれるようになります。でも、言葉(単語)ばかりが先に立って、使っている本人も意味をきちんと理解していない様子。そして、ライアンもその一人でした。


ある日、スクラップ工場の片隅に鎮座している、木製の大きなタンスが目に飛び込んできます。良質の木材で、ていねいに手作業で仕上げられたものです。そしてその時、ハッと気付くのです。


人が不要と思って廃棄するモノから、本来の美しさと可能性と見いだす。その時初めて、持続可能という言葉の意味が理解できて、モノの境界を見るに至ったと言います。


そこからです。具体的に、『持続可能性とデザイン』と『その土地ならでは』という2つのキーワードにこころを傾けていったのは。すると、あらゆるディテールが立ち上がってきました。


2006年、ついに『地域コミュニティーの文化的ハブ(拠点)』というコンセプトの元、ポートランドACEは開業にこぎ着きます。


まさに同時期、パール地区は開発の真っただ中でした。


ちょうど、世界的にもインダストリアル・デザインへの注目が集まっていた頃です。ACEホテルのデザイン、インテリア、ライフスタイルそのものがカッコいいと、日本のメディアで次々と取り上げられていきます。


そしてそれが、古いものから新しい価値を見つける、ACE発で独自の『ポートランドスタイル』へと発展していくのです。


特に魅了されているのは、20~50代の男性*。ACEが入り口となって、ポートランドのファンになった彼らは、毎年のようにこの町を訪れます。いくら日本から一番近いアメリカ本土の中規模都市としても、これはとても珍しいケースです。 


〚*日本でもよく見るスタイル...ニット帽を立ててかぶり、髭を生やして、アウトドア系ジャケットをはおる。あれが、ポートランド風スタイルです。そして、ニット帽はやっぱり木こり*の名残から。〛


The chest of drawers in the hotel's business center and is loved by guests.
ホテルのビジネスセンターに今でも鎮座して、ゲストに愛されている タンス。その壁に直接描かれているのは、お気に入りの Leonard Cohen の My Dog is After Name Himの歌詞。こころに深く刻まれている、ライアンの初仕事。©2021PDXCOORDINATOR,LLC

|「正しく古いものは、永遠に新しい」


そこからは日の出の勢い。世界中に、その町ならではのACEホテルを次々に発表していきます。それぞれの町のACEを泊まり比べする、そんな現象が起きるほどに成長を遂げていくのです。


あこがれの対象でもあった創業者アレックスが他界してからも、彼の代わりに望みを追い続けてきたライアン。


ポートランドACEから20年後の2020年。ついに、世界10店舗目アジア初となる「京都ACE」をオープンさせるに至ります。建築家、隈研吾さんとのコラボレーションです。


しかしその時期、ライアンは重要な区切りをつけました。起業という、『新しい乗り換え口』へと向かうために。それも、ホテルとは違う分野の施工コンサルタントとして踏み出したのです。


「起業って言っても、一人LLC社。だからCEO*なんていう役職名は変だし。業務内容から、コミュニケーション・ディレクターにしたんだ。」 


〚*米国で起業・起業家という言葉を使ってビジネスを行うには、最小法人レベルの『法人LLC登録申請』に通ることが必須です。2017年後半からの起業家ブーム。このコロナ禍でさらに、『にわか起業家』が雨後の竹の子のように増加をして大きな問題になっています。その違法性(脱税ほか)から、連邦政府と連携して州市やビジネス協会がシビアな対応を取り始めました。因みに、CEOという役職はC=チーフという意味からも、Corp. や Inc.のトップに使用します。一人起業には、使用しないのが通常です。


目標を分析してそれに到達するために、オリジナリティ―で物事を成し遂げてきたライアン。このコロナ禍によって、より一層価値観が変わってきた今。すべて自分の手柄であるかのような振る舞いをしたり、過去の小さな成功を鼻にかける。そんなことをしていると、コトの本質が分からないまま時が過ぎていくと言います。


意識的・無意識的に勝手にコピーをして、自分(達)のために使って当たり前だった過去。サステナビリティ*に反するそんな枠組みからの脱皮が、この時代に必要なんだという思いがあります。このような誠実、でも新しい姿勢が人との信頼につながっているのでしょう。

〚*社会・環境・経済から見て、この世の中を持続可能にしていくという考えを表わしたものです。〛


(昔、友人の建築家が教えてくれた言葉。『正しく古いものは永遠に新しい』(画家 カール・ラーション)が、曲のリフのように脳内で渦巻きました。)

Forest Park in Portland, Oregon
近所のフォーレストパーク森林公園への日課の散歩。深く深く、霧雨交じりの空気を吸い込む。 ©2021PDXCOORDINATOR,LLC

自分で選び取った、LLC一年生のライアン。『町中にある全米一巨大な森林公園』近くの小さなアパートに、最愛の妻と白褐色の犬とつつましやかに暮らし始めています。


不安はない、と言ったらうそになります。でもやっぱり、自分が考える、自分が大切に思う豊さを求め続けていきたいという言葉に、ふと、少年のような心が隠れ見えました。


「最近、何もなかったACE の初期を思い出すんだ。今の自分にとって、必要最小限なもの。そして大切な人がいてくれれば十分。」そう流れるように、締めくくってくれました。


過去の自分や業績は、自分の身体の一部。でも、いつも新しくありたい。共に深く話をしていくうちに、こんな表現がこころに浮かび上がってきました。


そう考えると、過去の実例や枠イメージで固められた『~っぽい』という無意識の表現や言葉も、もう使用期限切れなのかもしれません。性別、人種・出身、職業・役職、そして町も。


たとえば、過去のポートランドを引き合いに出して『ポートランドっぽい』という表現をポジティブに使うことがよくあります。でもすでに、この町は大きく様変わりをして、すでになくなったものも多いです。


もう一つ、意味の変化について。以前、ポジティブな表現としてつかわれていた『変わり者の町であり続けよう(Keep Portland Wired)』という言葉。でもここ数年は、マイナス要因の多さから市民が使いたがらない表現になっていました。が今、また復活をしてるのです。それも残念な使い方として。現在これを合言葉のように、『だから変なこと(悪事・破壊行為、麻薬など)をしても良いんだ。変な町であり続けよう~。』と大義名分化する用途に使われるようになっています。ブラックライブズマターで被害にあった人や店舗、公共建築物。コロナ禍で辛い生活を強いられている人が、この言葉と行為によって一層苦しめられているという現状があります。


出来ることならば、あなたの周りの人やことがらに対してほんの少し意識をして表現を選んでいく。過去に作られたものではなく、『今のあなたなりの何か』で表わしていくというのは、どうでしょうか。


とは言え、もちろん急に変えるのは難しいことですよね。すでに自分の事で、もう精いっぱいと感じている人も多いことでしょうから。


だからこそ余計に、少しずつ枠組みをずらして他人との比較ではない部分で、『まずはあなた自分を慈しんで』ほしいという思いが募ってきます。


今を生きるポートランドの人々を通して、『今』と『これから』の目線の小さなヒントを見つける連載。


今日、ここからほんの少しだけ何かを感じたあなた。そんなあなたは...わたしが出会いたいすてきな大人です。


次回のゲストは、ポートランド州立大学の有名な『町づくりプログラム』に潜入!(なんと、日本語で行われています。)今のポートランドの町づくりの具体例とは?それをどのように、あなたの町や行政に応用していくの? - ざっくばらんに、でもていねいに説明していきます。3月9日掲載です!


Former ACE Portland Office
旧 ACEポートランド事務所(既に州外へ移転) ©2021PDXCOORDINATOR,LLC

「本、コト、ときおりコンフォートフード」

だれにでもある「まだ誰にも言わない」特別なもの。生活スタイルと影響を受けた大切なもの。


ライアン|he/him|起業家 |コミュニケーション・ディレクター


オーバーストーリー|リチャード パワーズ 著、 木原 善彦 訳〚ピュリッツァー賞受賞作〛


ACEニューヨークの立ち上げで、市内に滞在していた時のこと。いつも通る道のいつもある木の前を、自転車で急いで走っていた。なぜだか解らないけど、その時急に木を見上げてね。突然ある感情が襲ってきたんだ。「木はゆっくりとしか成長しない」って。ちょうど、自分にとっても節目の時だったんだと思う。それ以来、木が登場する小説を読んだり、仕事の切り替えのために目をつぶって、木をイメージすると落ち着く自分がいるんだ。


How to Save a Planet | (ポッドキャスト)〚英語版のみ〛


この地球の環境を考えるとき、地元(ローカル)で日々できることに意識を向けている。自分の興味のある分野を少しずつ学びながらね。気候の変動や二酸化炭素の排出量を削減することに意識を向けて、先ずはできることから始めているところ。


記:各回にご登場いただいた方や記載団体に関するお問い合わせは、直接山本迄ご連絡頂ければ幸いです。本記事掲載にあたってのゲストとの合意上、直接のご連絡はお控えください。




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