なぜポートランドでは『建てる』より『育てる』を選ぶのか?──まちづくり・働きかたの新常識
- pdxcoordinator
- Jul 23
- 8 min read

『建てる』ことはゴールではなく、始まりなのかもしれない。
その気づきが、これからのまちのかたちを変えていく兆しとなっています。
いま、オレゴン州ポートランドでは、建築の定義が変わりつつあります。
それは、単なる住宅供給や建物づくりではありません。
キーワードは、『地域と共につくる』。
そして、そこに暮らす人々が新しい形でつながり、助け合いながら暮らす。
そんな、コミュニティの再設計に挑む建築チームがいます。
最近アメリカでは、「パーパス ドリブン キャリア(Purpose Driven Career)」という、『仕事を通じて地域や社会に貢献しながら、自分自身も成長していく』という考え方が広がっています。
近年、若い世代を中心に広がっている『社会と自分の双方にとって、意味のある働き方』が、時代のスタンダードになりつつあります。
では、仕事のあり方は今後どう変わっていくのでしょうか。
そのヒントを、まちづくりと建築の現場が共存するポートランドから紐解いていきましょう。

|『建てる』より『育てる』 - 共に育つ住まいが生む新しい暮らし
今、小さな住宅街から、未来のコミュニティが静かに動き始めています。
「暮らしを支える場(プレイス)は、地域と共に育つもの。」
そんな言葉が、これほどしっくりくる現場に出会ったのは、初めてかもしれません。
舞台は、オレゴン州ポートランドの北東部に位置する地区。
空港とダウンタウンの間に広がるこの地域では、ここ10年で住宅開発が急速に進み、さまざまな文化や価値観を持つ住民が、新しいコミュニティを形づくりつつあります。
その一角で進行しているのが、トゥーヨ・デベロップメント(Tuyo Development)という住宅プロジェクト。
『ただ住むための箱』ではなく、人と人のつながりを育む新しい暮らしのかたちを提案するこの試みは、今注目すべき建築的アプローチの一つです。
このプロジェクトを担っているのは、ベラ・プロジェクト( Bela Projects)の3名のメンバー。
建築家のケン・キノシタさんを中心に、資金調達・設計・まちとの連携づくりまで、それぞれの専門性を活かしながら、地域の中に息づく生きた建築を模索しています。
「このプロジェクトは、キャサリン、デビッド、私らで取り組んできた協働作業。
特に、資金調達も含めて全体の構想をまとめ上げたキャサリンの存在なくして、ここまで来ることはできませんでした。」こう語り始めるケンさん。
3人は、建設技術や都市政策、そしてポートランドというまちの背景を丁寧に調べ続けてきました。
その中で見えてきたのが、「いま、どんな住まいが本当に地域に求められているのか?」という問い。
その探究を通じて、暮らしの意味について、もう一度立ち止まって考えさせられました。
こうして生まれたのが、『Park 20』というサステナブルなタウンハウス群。
自然素材や省エネ設計といった環境面の工夫はもちろん、住民同士が自然と関われる設計がいたるところでなされている。まさに、共に育つ住まいの形がそこにあります。
この挑戦の背景には、『中間住宅(ミドルハウジング)ゾーニング改革*』と呼ばれる、都市政策の先進的な条例実施。この制度改革によって、いままで制限されていた住宅の多様化が一気に進んでいます。
制度改革と現場の挑戦が交わり、地域と住まいの新しい姿が少しずつ形を成しはじめている。
そして、そこにはケンさんが大切にしてきた『ある視点』が息づいているのです。
*補足
2019年、オレゴン州が全米初の州レベルでの『単独戸建て規制緩和法案としての「ミドルハウジング法」を可決。ポートランド市は、より進んだゾーニング緩和条例を2021年から実施しています。

|図面の外にある関係性----まちを変える『現場の声』
このプロジェクトの根底にあるのは、一人でつくる建築ではなく、共につくる暮らしの場という考え方です。
建築と聞くと、自分には遠い世界だと感じるかもしれません。
でも、私たちが日々暮らすまちの居心地や安心感。それは、「誰が、どんな思いで、その空間を形にしたのか」によって、左右されることも多いのではないでしょうか。
そう気づいた時、建築という営みが、ぐっと身近なものに感じられたのです。
「建築は、目に見えない関係性の土台を静かに育てていく仕事なのだと思います。
それは単なる建物づくりではなく、設計者と住民、あるいは職人や行政との対話を通じて『場』を共創していく過程そのもの。
一つひとつの会話、一つひとつの納得が、まちの未来につながっているのだと実感します。」
住民の声や職人との対話を重ね、図面の外側で関係性を育む。
こうしたケンさんの姿勢は、『パーパス ドリブン キャリア』の一例とも言えます。
図面だけでは描けない関係性。
見えない線が、いつの間にかまちの未来を支える柱になっていく。
では、この様な思考に至ったケンさん。なにを大切に歩んできたのでしょうか。
次の章では、その原点となるルーツ、そして彼自身が語ってくれた『ある問い』に迫っていきます。


|多文化のまなざしが育てた『共に創る力』
ケンさんの建築への視点の奥には、多文化的なルーツと、そこで育まれた感性があります。
育ったのは、メキシコシティと東京----。
異なる文化が交差する二つの都市を行き来しながら、ケンさんは自然と『違いの中で生きる力と感性』を身につけていきました。
地元メキシコの学校に通い、毎年夏休みは東京で過ごす。
ひとつの言語や価値観に縛られない暮らしのリズム。それが、観察する眼差しを育てていったように感じます。
実は、彼の父は日本人の美容師としてロンドンやパリで腕を磨いたのち、南米での仕事をきっかけにメキシコへ。
その地でキャリアを築き、美容専門誌でたびたび表紙を飾り、世界的な賞を次々と獲得するという。まさに異国で名を馳せた著名な人物です。
幼いころから、そんな父の姿を見て育つ中で、異なる文化や視点を持つ人たちと協働すること。そこから、より良いプロジェクトが育まれる。そう自然に考えるようになったと言います。
現在も、日本語・スペイン語・英語の三言語を自在に使い分けているケンさん。
たとえば、感情を表すときはスペイン語。年長者と話すときや落ち着きたいときには日本語。仕事の場では英語。
この多層な言語感覚が、複雑な価値観が交わる建築の現場において、大きな強みになっているのだと感じます。
文化を越えて、対話しながら共に創る。
そのプロセスにこそ、これからのまちづくりや空間デザインの核となる『問いかけ』が潜んでいるのではないでしょうか。
そして、そんな彼の感性の根底には、もう一つ大切にしてきた心の習慣があるのです。

|人生と地域に寄り添う、建築という仕事のかたち
もう一つ、ケンさんの原動力となっているのが、家族が営んでいた美容サロンでの経験です。
両親の病気をきっかけにサロンの運営を手伝った際気づかされたこと。それは、仕事場は単なる職場ではなく、「スタッフやその家族が人生を築いていく暮らしの場」ということ。
ケンさんが大切にしているのは、「仕事を通じて、地域と人の人生に寄り添うこと。」
そのまなざしが、ベラ・プロジェクトの中核となる『空間を共に育てる姿勢』に息づいています。
「建物ではなく、関係性を育てる姿勢を何より重んじています。」
建築家である前に、一人の生活者として地域に関わること。
『地域と人に寄り添う姿勢』があるからこそ、共に未来を築こうという信頼が芽生える。
ケンさんの現場からは、そんな力強い関係性の芽吹きを感じました。
そしてその視点は、いまの日本の『突きつけられている問い』として無視できないテーマになっています。

| これからの日本に必要な『共に育つ』という選択肢
今、日本各地で『暮らしの安心』や『人とのつながり』が、あらためて見直され始めています。
背景には、高齢化・単身世帯の増加、そして心の豊かさを求める時代の気運があります。
実際に、住まいの質や地域との関わりが、心と身体の健康に深く影響していることが、さまざまな研究から明らかに。
『住環境の快適さ』や『日常的な近隣との交流』が、ストレスを大幅に減らし、認知機能の健康を保つのに非常に役立つ(厚生労働省 、2022年度研究報告)
今の日本では、地域のつながりが暮らしの安心や幸福に直結する時代に入っています。
そんな中で、いま本当に必要とされているのは、単に建物やインフラを整えることではなく、『ともに暮らしを育てる場』をどう築いていけるか――その問いではないでしょうか。
この視点は、「一人でつくる建築ではなく、協働でつくる暮らしの場」というケンさんの言葉とも響き合います。
建築とは、構造物を超えて、人と人との関係性をかたちづくる営みでもあります。まちを育てるという発想こそが、これからの日本に求められる共感の起点です。
それは、10年後に誰もがつながりを感じられる地域社会へと向かう、重要な転換点になるのかもしれません。
あなたのまちには、どんなつながりの種が眠っていると思いますか?
| 次号予告
キャリアを終えたあと、人は社会にどう関われるのか?
いま、米西海岸を中心に、経験を武器に起業家を支える「実践型メンター」たちが静かな注目を集めています。
引退は終わりではなく、新しい価値創造の始まり。
日本でも求められ始めた、セカンドキャリア支援のヒントを探ります。
2025年8月下旬 掲載予定。
人生の後半こそ、自分で選び直す時間が始まる ---

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