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注目の新語『静かな退職』、それとも『ハッスル・カルチャーの継続』? ポートランド・アスリートの選択

Athletes are starting to run on the track and field stadium
2022年7月15日から24日まで、猛暑の中で開催された世界陸上競技選手権大会。 チームジャパンは、現地入りしてからコロナウイルス感染の陽性反応が検出されるケースが多発。そのような状況でも、4つのメダルを獲得という健闘ぶり。 世界的な観点では、男子棒高跳、女子400mハードル、女子100mハードルなど、多くの驚異的な世界新記録が多く出されました。 (写真は、同大会予選審査会の様子) Photo | Courtesy of University of Oregon

この夏、コロナ禍での一年延長の末、一気に開催された世界陸上選手権大会。それも、アメリカ初開催、ナイキの創設者フィル・ナイト氏の母校、スポーツのメッカといわれるオレゴン大学で。


ポジティブな条件が交差しながら、世界中から次々とアスリートが結集。参加国・地域数192か国。種目数は49種目。参加者、関係者の気分がピークに達していきました。


開会式から、快晴!という名の異常気象ともいえる猛暑の日々。肌がチクチクと痛いほどの強い日差しを受けながら、多様なアスリートが挑む姿。そんな奮闘に、映像を通して心打たれた方も多かったのではないでしょうか。


そんな熱波の吹き荒れる10日間。悔しい思いをした選手。そして喜びに包まれた選手。複雑な思いを元に、選手や関係者は皆、それぞれのホームという場所に帰っていきました。


その大会現場で、準備期間中から現地入りをしていた著者(山本)。ふとしたきっかけで、業務中に話をするようになったのが、オレインさん。


陸上選手のような体格と振る舞い。とはいうものの、スポンサー業務の作業を黙々と行う姿。実際、言葉を交わしていくと、陸上競技に関しての知識は並外れています。一体、どんなバックグラウンドや思考を持っているのか。


会話が進んでいくにしたがって、キーワードが次々と頭に浮かんできました。


栄光、挫折、諦め、チャレンジ、新しい人生のステージ。それに加えて、米国で今注目を集めている現象の『静かな退職(Quiet Quitting)』とハッスル・カルチャー。


これは、ひとりのアスリートの話です。でも同時に、私たち日本人の多くの人たちが経験している、就職氷河期から現在のコロナ禍での『諦める勇気』からの『次へのステップ』、そして『心を保つ方法』。


人生で一度活躍をして脚光を浴びた経験があったゆえに、前に進めない人。または、一度も世に出て語られることがほとんどないという人。夢は無いに等しい、あったとしても叶わない。先の見通せない現状から、将来の第二の人生に迷い戸惑いジレンマに陥る人の姿が、今の日本では多く見受けられます。


そんなあなたに。このストーリーから、何らかのヒントが少し読み取れるかもしれません。


A man standing in front of banner
Photo | Oreine Palmer

| 失敗するのは当たり前。自分の人生は、自分でデザインしたい


オレゴン州の大学に奨学金で訪米するまで、地元ジャマイカの中規模都市で生まれ育ったオレインさん。


決して裕福とは言えない家庭環境の中、「育ち盛りの男3兄弟のお腹を満たす。そのことに心を砕いている母。父は、1ドルでも多く稼ごうと朝から晩まで仕事をしている。そんな姿ばかりが思い出されるなぁ。」アクセントがある英語だからと言って、ゆっくりと話し始めます。


「そんな苦しい暮らしの中でも、両親は『自分の出来る範囲でいいから、常にベストを尽くすように。そうすれば自分自身が、人生を振り返った時に後悔することも少ないから。』そんな言葉を繰り返しかけてくれてたんだ。」


そんな中、特別なお金がかからない、そしてエネルギーを発散できるという理由から、中学入学と共に陸上競技に興味を持ち始めたと言います。


「でも、変な走り方のお前なんか陸上部に入っても活躍できっこないよ、と言われ続けて。悔しい思いをしたことは苦い思い出。でも、その悔しさをバネにして、人一倍の練習を3年間続けていったんだ。その結果、フォームも良くなって体重も徐々に減って。それに比例するように、記録も良くなっていくのがうれしかった。そこから、もっと向上するための策を毎日頭で考えてた。とにかく良いと思う事は、馬鹿げたことでも全て試していったんだ。トライ・アンド・エラーの毎日だったよ。」と、恥ずかしそうに笑うオレインさん。


思春期の男子生徒だからできる技なのかもしれません。でも、辛くなかったですか。そう問いかけると、こんな答えが返ってきました。


「健康的なメンタリティを維持する方法として、『自分の人生は自分が想像しているより、きっと良い方向に行くはず。』そう、自分に言い聞かせていたことが大きいかな。これは、母の良い影響からくる賜物。


同時に末っ子という環境から、周りの大人や兄弟友人の失敗や間違った行動を見て、自然に学んでいった感じ。」


そんな努力の甲斐あって、高校2年生の時、ついに100mで11秒の壁を破ったオレインさん。これをきっかけに、次々とユース大会に出場するようになっていきました。


華々しい記録と賞と共に、なんとオレゴン大学から陸上選手としての奨学金のオファーを受けたのです。ジャマイカ出身の有色人種のオレインさんにとって、アメリカ本土の、それも陸上メッカの大学に行くということは夢のような話でした。


ただし、一般のスポーツ奨学金受理学生と同様に、その条件はなかなか厳しいものだったと言います。「在学中の学費、寮・生活費をほぼカバーする奨学金額を提示されたときは、天にも昇る気分だった。もちろん、陸上選手として記録と成績を伸ばす。大学代表として選手権大会に出る。アスリートとして品行方正に、という但し書きと共にね。


で、なかなか大変だなって思ったのは、勉強の方。専攻を持って成績は中以上を保つ。単位は一年ごとに必ず取り終える。そして、もし落第をしたら奨学金は即打ち切り。...ねっ、結構キツイでしょ。」


日々の苦しい練習と勉強に明け暮れる中、全米選抜12校陸上大会で学生新記録を出して優勝。その後も、全米大学体育協会のトーナメントに次々に出場してメダルを獲得するに至ります。


このような実績を基に、社会人選手となって有名スポーツブランドからスポンサーシップを獲得。世界の多くの大会に向けて、順調に準備を始めた矢先のこと。


信じられないような事故に巻き込まれます。


「大きな交通事故、それも相手の不注意によるものだったんだ。その後遺症から、なかなか回復することができなくて。身体の痛みだけではなく、精神的にも焦り、心が萎えていく。でも、自分ではどうすることもできない。とにかく苦しい毎日だった。


ジェットコースターのような激しい心の浮き沈み。これからどう進んでいったらいいのか。無理をして思い通りにいかない身体に鞭打って、以前のように動こうとしてみたり。そんな自分に嫌気がさしたり。とにかく、悶々とした毎日だった。


紆余曲折あったけれども、少しずつ必要以上に自分を一生懸命に奮い立たせて、ありもしないエネルギーを無理やり絞り出す必要はない。そう感じ始めた自分がいたんだ。」


この言葉を聞いた時に、最近、多くのアメリカ人の間で言われ始めている言葉。「静かな退職(Quiet Quitting)」という文字が筆者の頭に浮かんだのです。


Moments when athletes reach the finish line
Photo | i-Stock

University of Oregon stadium
Photo | Courtesy University of Oregon

| 静かな退職=Quiet quitting


この『静かな退職』と訳される言葉。実際に退職するわけでは無いという、ちょっと意味不明な表現。コロナ禍中から始まり、最近では頻繁に耳にするようになっています。


労働から心理的に遠ざかり、必要最低限の労働しかしない、心は退職済みのような人が組織に蔓延る。こんな風に訳されることが多いこの言葉。でも、最新のアメリカのニュースを読み解いてみると、『必要以上に、必死に働くという行為はしない』という気持ちの部分の意味合いが強くあると感じます。


職場で給料を得るために求められる仕事、要求された分の仕事、そこは当然こなしていく。ただし、仕事に全てを捧げなければならないという考えは持たない・捨てる。いずれにしても、自分の感情を押し殺して無理をしてまで、絞り出すような働き方はしない。自分自身の価値は、職務や労働のみだけで定義なんてされたくない...。


とはいえ、この新語をめぐっては、すでに多くの異議が唱えられています。その理由は、『必要最低限を超えて頑張ることで、成長進化して可能性を広げることができるから』。


組織への帰属意識の低さ、仕事への熱意の低さ。それらは当然、離職率にも影響を及ぼしていきます。結果的には、そのような傾向を持つ人が多い組織の生産性は低くなる。そう分析をするエコノミストの声もあります。


いずれにせよ、この新語の背景に見えるのは、パンデミック、社会不安、経済的混乱という社会から発生してきた現象。そこから派生して、賃金、リモートワークや柔軟性、自己管理など、人々の仕事に対する要求が大きくなる今の社会。


ポートランドを含めて全米各地では、今もなお記録的な数の退職者が出続けている『大量 離職時代(Great Resignation)』の問題は継続中です。



ミレニアル世代は、仕事と私生活に『境界線を引く』。その下のZ世代の大半は、価値観を共有できる職場に身を置きたい。自分が役に立っていると思える職場で働きたい。そんな思いが強くあるといいます。


では、そんな静かな退職を行う人は怠けているだけなのか。コロナや時代が生んだ問題なのか。それとも、自分の心や脳を守るための防御策・行為なのか。


多くの人は、現在の複雑な要因が重なり合っていると分析をしています。『仕事に期待する意味や目的を見失った』『自分自身の目標と会社での目標の間に、温度差を感じるようになった』『リモートワークで孤立している』『ここが自分の本来の居場所なのか』。そして何よりも『疲れた』と。


| 『静かな退職』vs『ハッスル・カルチャー』


弱肉強食のアメリカのビジネスシーン、または日本の『仕事=人生』のような極端な働き方。これは一般に、ハッスル・カルチャーと呼ばれます。


先進国で唱えられ始めた静かな退職。それの逆を行く現象も途上国では起こっています。


例えばインド。共和制施行後、教育と人材の育成に国を挙げて力を注いできました。その結果、今、世界のIT業界のトップにインド人が君臨し始めています。 先進大国での成功者例が、よりおおくの成功者の活力になっていく。後に続けとばかりに、寝ずに学び働き、成功を手に入れることが美とされています。


多様な文化人種背景や思想を持ち、英語を話せる人口が多いインド。そんな『タフさ』と『柔軟さ』、カオスに『生き延びる力』が、先の見えない今の国際社会に求められているのも事実です。


加熱する競争社会。そこで生き抜いた人だけが、ピラミッドの上層部に行ける。途上国のパワーは、まるで昭和の日本を映し出しているようです。


しかし、途上国内のパワーとそれに伴うストレスは、すでにドロップアウトを多く生み出しているとのこと。


このような極端な2つの価値観が混在する現代。


社会的圧力に振り回されないで、もう少し自分の価値観を見出して生きていきたい。とはいえ、ただ感情的に「この仕事は自分には向かない。」といって辞めることとも違うはず。


バランスを取ることは難しいことです。しかし、必要な心のバランスを取る防御システムともいえる、この静かな退職という言葉。次のステップに進んでいくためには必要、という人も多くいるのではないでしょうか。


Shadows of athletes running on the stadium
Photo | i-Stock

| フィールドの新しいコースの選択 


そんな新語の話を始めると、「次のステップに行く為には、静かな退職だけが道とは思わない。でもね...」そう言って、オレインさんは一点を見つめながら再び語りはじめます。


「自分の中での葛藤もあったけれども、やっぱりこの大会に何らかの形で携わりたくって。だから、業務ヘルパーとして働くことにしたんだ。正直恥ずかしかったし悔しかった。こんなはずじゃなかったってね。


でもそれ以上に、どんな形であれ大会で同じ空気を吸っていたい。そう正直に感じている自分の心を尊重することにしたんだ。」


葛藤の後、プライドを一度手放して、気持ちを開放したと言います。


諦める勇気も必要だと思うんだよ。一回、手放すことだよね。このプロセスを経て、初めて前には進むことができると思うから。」


過去の栄光というものを手放したことで、見える事柄が多くあると言います。今まで走っていた人生のレーンを変えて、新しいコースを助走し始めたオレインさん。現在では、スポーツブランドの商品モデルや商品プロモーション促進販売員を生業としています。


「分野は違っても、今まで生きてきた道のり、そして過去のトレーニングの成果は今の生活にもしっかりと反映をしている。その時期その環境で、自分の思考やステージに合った生き方を探していかないと。だって、人生は長いんだから。


それに、同じことをずっとやっていくことって、不自然だし無理があるよね。日本人は真面目だから、真剣に考える傾向があるでしょう。極端に自分を追い詰めるほど、深刻に考えすぎないでほしい。


心と脳に余白をもって楽しくやれば、必ず自分自身に勝てるようになる。これは、アスリート時代からの教訓!」


人生を歩んでいく中での光(浮き)と影(沈み)の時期は、誰にでもあります。


そして、活躍した(と思える)時期より、人生を深く考え悩み苦しんだ時期の方が長いのは、あなただけではないはずです。


一見、影にも見える積み上げられた経験は、時と共にかけがえのない財産になっていく。その経験によってこそ、その人となりの深みを深め、あたらしい光となって自然に放たれる。そう信じています。


違う自分を見つけること。それは、とても幸せな自分自身への行為ではないでしょうか。


さて、あなたの大切な人生のフィールド。あなた自身は、どう進んでいきたいですか。


A top view of the moment the athlete reaches the goal
Photo | i-Stock

次回のテーマは、特別企画『 オレゴン州知事に密着 in Japan 』!


物価高、原油高騰、円安などの要因が重なり合う、現在の貿易事情。親日家も多いオレゴン州と日本との関係って? その陰の支えとなっている国際交流? 普段は、見聞きできない舞台裏の特別レポートです。


実は、コロナ禍初となる『 州知事(と州経済局)対貿易会議 』の訪日が、ようやく決定しました。この10月末に、通年より人数を絞り込んでの渡航です。


著者(山本)は、州知事室選出の貿易戦略諮問委員。また、州経済局女性リーダー会議の議長として、州や市と長年協働をしています。今回も多くの会議で、牽引役として務めてまいります。


尚、私事とはなりますが、州行政の皆さんがオレゴンに戻った後も、約1か月継続滞在。その間、行政、大学(院)、企業等でレクチャー・講義、そして懇親会など。3年ぶりの東京への里帰りです~。


このような理由から、その間2か月の投稿はお休み。次回の掲載は、12月中旬。2022年としての最終の記事となります。(えっ!もう年末の話とは...)


記:州訪日に関するお問い合わせは、山本まで直接ご連絡頂ければ幸いです。行政との合意上、州政府・知事室への直接のご連絡はお控えください。









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